40才になったら子供も成人するから第一線から退きたいとずっと思ってました。
41才になったので、子供が20才と19才、お金はかかるけどあまり手はかかりません。

元旦那さんも再婚して、去年くらいになんかとにかくいろんなことの肩の荷が下りてすごくほっとしてる自分がいます。

起業して仕事もがんばってきたし、今後ひとりで食べていくだけならそんなにお金もかからないだろうなぁ。

40才より先の人生をあんまり考えてこなかったのに、女性の平均寿命は80才を超えていると聞いて、まだ半分以上あると結構本気でショックを受けてます。

最近は、事業に関するいろんな話しを聞いても刺激が足りなくて、ワクワクできなくて。
「あれ?ここで詰まるんちゃうかな?」なんて思っちゃう自分が「もはや老害ちゃうか」と。

人生に悩んだ結果、「あ、わたしにはKaeruという6才児がいた」と気づいたので、あともうちょっとがんばろうかなぁと思い直しました。

じゃ、なにをがんばるんだと考えたとき「売上1億円超えたい!」という目標を立てたら「売上は立つけど利益がほとんどない事業やりますか?」って言われて「いやいや、それはやりたくない」。

じゃ、「利益目標にしようか!」…と考えたら、利益率の低いオオサカンの運営やめたほうがいいということになるのはわかりきってるし、もちろん絶対やめたくない。

考え抜いてしっくり来たのが、「社員の給料を残業なしで年収500万にしたい!」いまこの目標に突き動かされてがんばってます。

「社員の給料を残業なしで年収500万にしたい!」を目標にしたことで見えてくることがすごく変わりました。

休みが多くて残業もなくて年収500万円を叶えている会社のニュースを見ると、徹底的に効率化されていて、時間の無駄なんて全然なくて落ち込むことも多いけど、同じことをやっても業種が違うのでうちはうちなりに目指していきたいと思ってます。

年収は「ふさわしさ」だと思っているので、ふさわしい知識や経験、考え方を伝えるようになったのは本当に良かったです。

年収500万円って多いか少ないか人によって感じ方はそれぞれだけど、仕事の内容や自由度、楽しさ、労働時間などを加味するとかなりいい線だとわたしは思ってるし、もちろん目指したくない人に強制することはありません。

給料をあげたいと考えるのは楽しくて、ようやく会社を経営することがおもしろいと感じるようになりました

「経営者だけにはなりたくない!」って言い続けてた自分がなんて変化なんだ!

会社をはじめてから2年間は誰も雇用せず1人でした。
金銭的にも難しかったし、経営は自分にはできないと思っていたので…。

2年が過ぎて、オオサカンの利用者にとってスタッフを雇用しないことはなんのメリットもないことに気づいたので、いろんなことを削ってお金を捻出し、スタッフを雇用することになりました。

人を雇うことがとても難しく感じたわたしは、月曜日〜金曜日まで各曜日に1回ずつ来てくれるスタッフを5人雇うことにしました。

その瞬間に、これから経営をしていくという覚悟を決めたけどそれは単に覚悟であって、ワクワクしてたわけじゃないと思う。

スタッフを雇用したことで、自分の考えを言語化して、伝えることの必要性を知り、考えをまとめる努力をするようになり、その結果経営理念をつくりました

経営理念である「やりたいをできるに変える」は、スタッフ間に深く浸透していて、社名にもなりました。

スタッフを雇用しはじめたのが2014年1月で、約1年半がすぎた2015年8月に1ヵ月の休みをとりました

起業してから3年半、四六時中働いていて休みがなかったというのもありますが、この休みにはもっと深い意味があって、権限譲渡を目的にしていました

1月に「8月に1ヵ月休みを取る」と決めて、常に「これが8月に起こったらどうしよう」とエリーをはじめ当時のスタッフと一緒に体制をつくりました。8月までの間に短期間の出張を挟んで、困ることをあぶり出し、対策を練ってきました。

8月になっていつもできない仕事を自宅でしたり、高校を卒業する息子と旅行に行ったりして過ごしました。エリーをはじめ当時のスタッフのおかげで連絡が来ることもほとんどありませんでした。

休みが終わってから今までの数年間は、社内の体制作りに専念してきました。ヴェロスタやatusなど事業がどんどん増えている一方で社内体制(特にシステムと経理)が整っておらず、新しいことは極力はじめず、じっと体制作りに取り組んできました。

経理も任せられるようになり、エンジニアを雇用し、スタッフを一気に増やし、暗かったトンネルの先にようやく光が見え始めました。

2018年は3回にわけて11週間日本を離れる予定です。オオサカンのメンバーやatusのコーチたちといろんなところに行って、刺激受けて、耳年増を抜け出したいです。

【バリ4週間】

まずは英語を学びたい、もっと話せるようになりたい、ということで3週間という短い期間ですがバリで語学留学します。語学留学のあとは、再び息子も含め4人でバリ北部の田舎で1週間を過ごします。

【ヨーロッパ5週間】

そして、夏にはオオサカンやatusのコーチたち8人でヨーロッパ旅行。
ドイツ・スウェーデン・エストニア・スイス・イタリア・フランス。

視察に行ったり、過去にオオサカンに来てくれたメンバーさんたちに会ったり、いろんなことを学ぶ予定です。エリーもヨーロッパに2週間連れて行くことになったので、この2週間にむけて権限譲渡を加速させています。

【ベトナム2週間】

11月には、ホーチミンIT飲み会をチャットワーク社の堀江くんと企画していて、できるだけ多くの人が参加できるように3日間をコア日程にしています。わたしはその後3都市くらい訪問したいなぁと思っているので2週間くらい行きたいなと思ってます。

そんなこんなで2018年は、11週間スイッチはONのまま日本を離れることにしました。

ずっと一緒にがんばってきて、一緒に結果をだしてきたオオサカンのメンバーやatusのコーチと一緒に旅をしながら仕事をして、その刺激をまた事業に活かす年にしたいです。

上場したい!とかいっぱいお金を稼ぎたい!というのがないわたしは、自由が大好きです。

自由が好きなことを知っていたので、オンラインで仕事ができる体制を最初から整えていました。

楽をしたい、遊びたいというのも違って、移動しながら働くことがわたしにとっては必要なんです。
旅先でも常に仕事のことは気にかけているし、仕事もしている、旅先で仕事をするのも全くイヤじゃない。

遊びに旅行したいんじゃなくて、身の置き場を変えて滞在して違う場所でいつもの仕事をしたい、いつも考えられないことを考えたい。

違う環境で仕事をするとその時々で刺激が違って、その刺激が多様なビジネスを作り出すのだと思ってます。

そして、2019年はやりたいことがちょっとできました。

ただ、仕事に活かせるかまだ未知数なので、2019年はプライベートで日本を2ヵ月留守にしたいと思ってます。